通訳案内士インタビュー!TOEICスコア220点アップで晴れて通訳ガイドに!

● 通訳案内士インタビュー!TOEICスコア220点アップで晴れて通訳ガイドに!

こんにちは。田村恵理子です。

私のメルマガの読者さんの中には、通訳案内士の資格を目指して勉強しています、という方も、チラホラいらっしゃいます。メルマガは読んでいても、返信はしない方が大多数でしょうから、きっと、もっと多くの方が通訳案内士の資格を目指されているのだろうなと思います。

現役の通訳案内士として活躍されている藤木紀衣さんに、インタビューさせて頂きました。

藤木さんは、通訳案内士の試験にチャレンジする過程で、TOEICテストも何度も受験して、1年と少しで220点アップされました。そして通訳ガイド試験も、目標より早く合格されました。

藤木さんは、フリーランスの通訳ガイドとして仕事を始めて1年ほどになります。

新人通訳ガイドの仕事の状況や、不安な気持ち、嬉しいことなども、ざっくばらんにお話しくださいました。

 

子供時代の英語との関わり

不思議の国のアリスの飛び出す仕掛け絵本

小さい頃に英語や海外の文化に触れた記憶は、ほとんどありません。

唯一の例外が、たまに遊びに行った、いとこのお姉さんの家、つまり叔父さんの家でした。

叔父さんの家には飛び出す絵本がありました。不思議の国のアリスの絵本でした。

衝撃的でした。わぁこんな絵本があるんだと思いました。

絵の感じも他の絵本とは違いますし、当時、他では、そのような仕掛け絵本を見たことがありませんでした。

その絵本が日本語だったか、英語だったかも覚えていません。いとこのお姉さんも叔母さんも外国が好きでしたから、外国で買ってきたのかもしれません。

その不思議の国のアリスの絵本との出会いが、異文化との出会いの始まりだったと思います。

叔父さんの家には、両親に連れられて、たまに行く感じでした。お家に行くと、自宅とは違う外国の雰囲気に、漠然とした憧れを感じました。

当時、いとこのお姉さんは大学生くらいだったと思います。

英語が好きで、のちに海外添乗のツアコンのお仕事もしたこともあるそうです。とは言っても年が離れていましたから、リアルタイムで、お姉さんから話を聞いたわけではありません。

ただ、今になって思い返してみると、私が英語が好きになったのは、そのお姉さんの影響もあったと思います。

 生まれて初めての海外旅行

小学2年生の時に、家族でハワイ旅行に行ったことがあります。

ハワイですから日本語が普通に通じていましたし、英語に触れた記憶は、ほぼありません。

両親も英語を話しませんし、家族で行きましたから、特に海外という感じでは、ありませんでした。

実は、プールで溺れて大変でしたので、その印象の方が強いです。

当時は泳げませんでした。海は怖いから、プールで浮き具に乗って遊んでいました。その浮き具がひっくりかえって溺れてしまったのです。最終的には、助けてもらったのですが、死ぬかと思いました。

その思い出が強烈で、他のことは、あまり覚えていません。

中学、高校生時代の英語との関わり

中学校で、心機一転、英語の勉強スタート

小学校の頃は、あまり勉強ができる方ではありませんでした。

中学校で、英語が始まりました。

それまで勉強では遅れをとっていましたが、英語はみんな一斉にスタートです。

英語は絶対に、がんばってやろうと思いました。

英語は好きでした。いつも自分が喋っている言葉と全く違うのが、面白かったです。

公文での英語の勉強

中学1年生の夏くらいから、公文式の英語の教室に通い始めました。

公文での英語以外の教科のことは、まったく思い出せませんが、英語の勉強はすごく楽しかったです。

当時、公文の英語は読み書きだけでした。与えられた課題をこなすのが楽しかったです。課題は、たとえばA5くらいの小さな紙に、りんごの絵が描いてあったりしました。

公文の英語が楽しくて、英語は一生懸命やりました。相乗効果で、学校の英語の成績も良くなり、どんどん英語が好きになっていきました。

暗記するのが、筋トレみたいで好きでした。

中学校では英語以外の勉強も、そこそこ頑張りました。

英語以外では、歴史も好きでした。何か物事を考えるより、ひたすら覚えるのが好きなのです。暗記するのが、筋トレみたいで好きでした。

公文教室は中2か3でやめて、受験勉強のための塾に切り替えました。

塾でも、英語だけは、そこそこ上のクラスでした。塾の英語も嫌いではなかったです。

高校時代の英語の勉強

高校に入ってからは、英語も、文法用語などが入り、難しくなってきました。それでも、英語は好きでしたし、頑張っていました。

大学受験の時は、英語もかなり勉強しました。

大学時代

大学は国際交流学科に

大学は文学部に入りました。歴史、社会学科で、国際交流、国際経済について学びました。

大学に入ってからは、バイトと遊びで忙しく、単位をとれる程度の最低限の勉強しか、しませんでした。日本の大学生によくあるパターンです。

国際交流学科という名前でしたが、特に留学生と交流したり、国際的な交流はありませんでした。

インターナショナルな学校なので、学校としては交換留学の制度を設けたりはしておりましたが、なんせ、学生時代はバイトと遊びがメインでしたので、交換留学の案内を見ても「へ~。」と冷めた目で見ていただけした。。。

しかし、国際交流学科に所属していただけあって、語学の授業が他の学科より多かったことは覚えています。アメリカ人の先生のとある英語の授業がありました。必修の授業で10人程度の少人数のクラスでした。

人数が少ないですから緊張感がありました。毎週、宿題もありました。英語のレポートの書き方なども、きちんと教えてもらいました。英語が好きだったはずなのに恥ずかしい話ですが、その先生の授業は厳しく、英語のレポートをコピペを多用して適当なものを提出したら、ネイティブの先生にはそんなことはお見通しで、適当なレポートゆえに単位を落とし、4年生の時に3年生と一緒にまた同じ授業をとりました。

第2外国語は、フランス語を選択しましたが、フランス語は、ほとんど使う機会がありませんでした。残念ながら今も使う機会がないので、フランス語は全くできません。

職業としての通訳案内士を知ったきっかけ

通訳案内士という職業があると知ったのは、大学3年生の時です。

大学3年生も半ばになると、そろそろ、将来を考えなければいけないタイミングです。周りの学生も、就活という雰囲気になってきました。

漠然と、小さい頃から会社員で一生を終わるのは嫌だな、と思っておりました。

何かできることないかなとネットで探してみたりしました。

英語を使う仕事で検索してみて、通訳案内士という資格があることを知りました。

 

貯金をはたいて申し込んだハロー通訳アカデミーの通信講座

当時、通訳案内士の資格を取るための、、ハロー通訳アカデミーという専門学校がありました。

通信のコースを申し込みました。自分で貯金をはたいて、16万円くらい払いました。

英語は得意でしたから、ちょっと勉強すれば受かる、と甘くみてました。

ところが、いざ、テキストが届いて、見てみたら、すごく難しかったのです。

現在の通訳案内士の英語のテストは易しくなっています。英語の筆記試験のTOEICなどによる免除もあります。

当時は合格率がすごく低かった時代でした。英語の試験もすごく難しかったです。

通信講座の英語のテキストをちょっと見ただけで、すごく難しくて、無理だと思いました。

結局その時は、ほとんど勉強せずにやめてしまいました。今の私には無理だな、と諦めたのです。

通信講座の課題も、一回も提出しなかったと思います。

社会人になってから、通訳案内士を目指すまで

大学卒業後は、受付や事務など

大学を卒業後は受付や事務の仕事をしておりました。

仕事で、英語も少しだけ使いました。 初めて仕事で英語を使ったのは、小さな商社で貿易事務をした時です。

留学経験のある英語がペラペラな上司の方がいい人で、丁寧に教えてもらいました。とは言っても、仕事の英文メールは、商品名や入荷数が違うだけで、毎回、同じような内容ですし、英文メールを読んで入荷したものの個数が合っているか、などのチェックするといった、ごく簡単な仕事でした。輸入する側でしたし、こみ入った内容の英文を書くことも、ありませんでした。

英語の電話や、込み入った内容は、英語ができる上司が全て対応していましたので、英語でビジネスをしている!という感じではありませんでした。慣れてくると、事務は1年間通して、毎年やることが変わらないなと思いました。ずっと室内にこもっている仕事ですし、もっと自分で動ける仕事がしたいと思いました。

転職とTOEICスコア

転職を考えた時に、もっと英語を使った仕事がしたいという思いもありました。ところが、全く自信がありませんでした。

大学生の時はTOEICスコア445点でした。

その後、貿易事務の仕事をしている時も、何度かTOEICを受けました。その頃は、通訳案内士については、忘れてしまっていて、また試験を受けよう、とか通訳案内士を目指そう、とは考えていませんでした。

もっと英語を使った仕事がしたいけど、経験もないし、しゃべれない、ときたら、求人でもよくTOEIC800点以上などと書かれているので、TOEICで800点くらいが良いんだ、と思ったので、なんとなくTOEICを受けていました。

卒業して2、3年経った時点で、TOEIC665点でした。その後も2、3回受けましたが、500点台や600点台で、スコアが伸びませんでした。

英語が得意、と自負しておりましたから、TOEIC850くらいは、すぐ取れる、と思っていました。それなのに何度受けても600点台でしたから、自信喪失していました。到底英語を使った仕事なんてできない、と思っておりました。

今、振り返ってみると、TOEICに特化した勉強をしていたわけではないのに、650点は超えていたのですから、一般的に見たらそれほど悪いわけでは、ありません。

だから、もう少し自信と、絶対英語を使った仕事をする、という強い意思を持って、英語を使う仕事に応募していたら、もっと早い時点で仕事で英語を使えたのかも、とは思います。

 

保険の営業に転職

知人からの紹介で保険の営業の仕事を始めました。英語は全く使いません。

しかし、人とお話しするのは好きでしたし、保険の営業ができたら、なんでもできるかなと思いました。

当時は、将来は海外から日本にないものを仕入れてビジネスをしよう、と思っていたので、仕事で営業スキルを磨いて、英語は英語で自分で勉強して、スキルを磨けばいいかなと思いました。

保険の営業は歩合制でした。やってみたら、主体的に動けますし、自分で自分のスケジュールを決められますし、あっていると思いました。今振り返るととても楽しかったし、厳しいトレーナーの元で育てられたので、ガッツがつきました。

海外旅行で英語力を磨く

社会人時代は、多読が良いと聞いたら、英語の多読の本を買ってみたりもしましたし、英語は、色々と試していました。

多読用の本、参考書、単語本、発音の本。消化しきれてない英語のテキストが今でも家にたくさんあります。

よく、「(ほぼ留学経験がないのに)なんで英語しゃべれるの?」と聞かれますが、海外に一人で行くようになってから英語力が磨かれました。

一人旅をすると、英語を使わざるをえないし、自分しか頼る人がいないので、必然的に英語を使うことになります。

海外一人旅のきっかけ

元々、海外旅行は、友達と何度か行ったことがある程度でした。

ある時、友人と二人で香港に行きました。

友人は、拙い英語を一生懸命使ってコミュニケーションをしていました。

正直、その方の英語はペラペラに英語が話せる、とは言えないレベルでしたが、それでも香港の方とコミュニケーションしていたので、そんなに拙い英語でも、通じるのだなと思いました。それでいいんだ、と思いました。

その旅行では、自分は英語を話せないと思いこんでいましたし、友人の前で間違えたら恥ずかしいとも思っていたので、自分からはほとんど英語を話さなかったです。

その友人は、特に英語を使う職業ではありませんでした。何故しゃべれるのかを尋ねたら、一人海外旅行で英語を使っているから、英語が話せるようになったと言っていました。

それで、一人で海外に行けば、英語が使えるようになるのか、じゃぁ、さっそく一人で海外旅行をしてみようと思いました。それが一人旅するようになったきっかけです。

初めての一人旅はカンボジアへ

初めて一人で海外を旅行したのは7年前です。保険の営業をしていた時でした。

カンボジアに行きました。会いたいと思った人がいたのです。

カンボジアでは、1970年台に、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)政権による大虐殺がありました。

当時、絹織物の職人さんも、たくさん殺されました。

長い内戦で途絶えかけていた絹織物の技術を復活させたのが、森本喜久男さんです。

森本喜久男さんについては、特集で見て知り、それから本も読みました。この人かっこいい!と思いました。生き方に感動したのです。

会いたいと衝動的に思い、一人でカンボジアに行ってみることにしました。

森本さんの工房を、いきなり訪ねました。工房は、けっこう田舎にありますから、ハイヤーを借りて行きました。

その結果、すごくタイミングが良くて、会ってお話しできました。1日前には、別の街にいたそうです。

もちろん、カンボジア観光もしました。楽しかったです。それから、どんどん海外に一人で行くようになりました。

海外一人旅が好き

アジアとヨーロッパが好きです。14か国くらい訪れています。

カンボジアに行ったのが5月で、その年の11月には台湾に行きました。

それから、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ジャカルタにも一人で旅しました。

営業の仕事は、ノルマさえ達成していれば、休みは取りやすかったです。

2017年にはヨーロッパにも行きました。

再び通訳案内士にチャレンジすることに

日本文化との出会い

若い頃は日本の文化について、あまり関心はありませんでした。成人式では着物を着ましたが、特に興味もありませんでした。

25歳の時に京都で舞妓さん体験をしました。その時に自分の変身した姿を見て、とっても感動しました。

私は、こんなに素晴らしい衣装文化を持った国に生まれたんだということを自覚し、感銘を受けました。

それまでは、将来は海外のものを仕入れて日本へ持ち込むビジネスをしたい、と考えておりましたが、この経験から、この素晴らしい日本の文化を世界に伝えることを志事にしよう、と思うようになりました。

この頃に、「素晴らしい日本の文化を世界に伝える」仕事ってなんだ?と考えた結果、「通訳案内士だ!」と、また私の頭の中に「通訳案内士になりたい」という思いが復活しました。それまでは自信喪失時代でしたので、通訳案内士になりたい、という気持ちも忘れておりましたので。。。

それから着物にはまり、学びを深めるために着付け学校にも通い、今は、お茶も習っています。通訳案内士の仕事を始めてから、全く興味のなかったお相撲さんも好きになり、今ではどっぷり和文化にはまっております。

通訳案内士は老後にとっておく?

25歳の時の舞妓さん体験をきっかけに、学生の時に通訳案内士、という仕事について知った時以上に、「やはり、私は通訳案内士になりたい!」という気持ちが強くなりました。

しかし、収入が安定しないという話を聞いていましたので、通訳案内士になるとしても老後でいいかな、と思っていました。

ネットで検索してみると、通訳案内士は国家資格なのにご飯が食べられないというネガティブな情報も多かったです。

知り合いに、海外に行くツアーの添乗員として働いた経験のある人がいました。通訳案内士ではありませんが、仕事内容は似ています。話を聞いてみたことがあります。

仕事自体は楽しそうでしたが、大変な面についても色々と聞きました。

彼女は心配性で、あれも調べないと、これもやらないと、となって神経が疲れてしまうタイプでした。そして、やはり収入は安定していないとのことでした。

大変なんだなと思いました。

後から伝え聞いた話ですが、いとこのお姉さんも、海外添乗員は、2、3年でやめたそうです。体力的にきつかったそうです。

一般的に考えて、通訳案内士も、収入が安定する仕事ではないのだろうなと思いました。

一方で、通訳案内士の年齢層が高いという情報も得ていました。

資格さえ持っていれば、老後にスタートしても遅すぎることはないし、足腰さえ大丈夫なら死ぬまでできる仕事です。

保険の営業の仕事も嫌いではなかったですから、現実的に考えて、通訳案内士は老後でいいかなと思いました。

やはり通訳案内士が、まさに私のやりたいこと!

30歳を超えた頃、色々と考えた時期がありました。

独身で子供もいませんし、まぁまぁいいかなと思っている仕事をしていて、大好きなことをしているわけでもないですし、自分の人生って何なんだろうと思いました。

老後に後回しにした通訳案内士の仕事ですが、なりたい、と思っているなら、仮にスタートは老後にするとしても、老後に勉強するのは大変なので、何かの役に立つかもしれないので、若いうちに資格だけでもとっておいてもいいのでは、と思い、一度試験を受けてみました。それが2013年8月でした。

当時は、保険の営業の仕事でバリバリ働いていましたから、あまり勉強せず、とりあえず受けるだけ受けてみました。

本気で通訳案内士を目指す

東京オリンピック開催が決まって

その年は、軽い気持ちで受けてみたのですが、その後すぐ、東京オリンピック開催が決まりました。

外国人がいっぱい来るなと思いました。であれば、何も老後まで待たなくても、オリンピックに乗じて通訳案内士の仕事にチャレンジしよう!、このタイミングで資格を取っておかないと、チャンスを逃すし、オリンピックに乗じていい方向になる!と直感で感じました。

2020年がオリンピックですから、2017年までには、通訳案内士試験に絶対受かっておこう、オリンピックの時までにはキャリアを積んで、バリバリ仕事できる状態でいようと、心に決めました。

絶妙なタイミングで決まった東京オリンピックが、通訳ガイド試験の勉強の強いモチベーションとなりました。

ハロー通訳アカデミーの講座で勉強

実は、学生時代に購入したハロー通訳アカデミーの通信講座は、わずか数冊だけ残して捨ててしまっていました。

再度、通訳案内士を受験してみようと思った時、ハロー通訳アカデミーはすでに閉校していましたが、以前は有料だった講座が、無料でダウンロードできるようになっていました。その講座をダウンロードして、勉強しました。

TOEICで英語の筆記試験の免除をねらったものの…

通訳案内士の一次試験では、TOEICスコア840点以上で、英語の筆記試験が免除されます。

注:2018年度以降は、免除条件が変更されました。

まずは、TOEICから、なんとかしようと思いました。自信喪失して以来、TOEICはしばらく受けておりませんでしたが、自信喪失の後、海外一人旅で多少は話せるようになっていたので、TOEIC840点はすぐとれる、と思っておりました。

さっさとスコアアップして、日本語の教科の勉強に集中したかったので、保険の仕事をしながら3カ月間、週に一回TOEICの強化スクールに通いました。勉強を始めてから750点くらいまでは、すぐ取れました。

それからTOEIC800点台になり、820点や、830点の辺りをずっと彷徨い続けました。なかなか、免除基準の840点をクリアできませんでした。

800点~830点を1年ほど彷徨っていたので、よっぽど英語の才能がないんだなと、落ち込みました。本当に落ち込みました。こんなに勉強しても850点すら、すんなりとれないならば、諦めた方がいいのかな、とまで考えるほど本当に落ち込んでおりました。

しかし、2015年5月、通訳案内士の願書を送らないといけないギリギリの月に、やっと、やっと、TOEIC850点取れました。

1年4か月かかって、やっと850点を取れました。電車の中でスコアの発表を見て、泣きました。正直なところ、通訳案内士の試験に受かった時よりも嬉しかったです。電車の中で涙ボロボロ流して号泣していたのを今でもよく覚えています。電車の中の人は何事かと思ったでしょうね(笑)

英語は、大学受験の時よりも、通訳案内士の勉強をした時の方が、集中して勉強しました。TOEICのスコアアップ、と目標を明確にして、TOEICだけに集中したのが良かったと思っています。

前の年に一般常識と歴史に合格していて、英語はそのタイミングで免除になったので、2015年は筆記は地理だけでした。

旅行会社に転職

2015年に、保険会社の営業職から、旅行会社の営業職に転職しました。

通訳案内士をやるぞと決めているにもかかわらず、あまり関連性のない業界の仕事に週5日間を費やしていることに、疑問を感じたのです。

通訳案内士に直結する仕事をしたいと思い、旅行会社の営業職に転職しました。ちょうど、インバウンドを扱っている部署に入れました。それが2月くらいです。

ところが、入社後3か月ほどで、その部署が潰れ、仕事がなくなってしまいました。

通訳ガイドの一次試験は8月でしたから、6月からは仕事はせずに、試験に集中することにしました。と、言いたいところですが、6月は友人に会ったり、7月は海外から友達が来て丸1カ月一緒に旅をしていたりで、実際にちゃんと勉強しはじめたのは8月になってからでした。

一次試験の英語はTOEICで、一般常識と歴史は、前年に合格していたため、免除になりました。一次試験で残りの地理に合格し、冬に受けた二次試験にも、合格しました。

発表は翌2016年の2月でした。結局、最終目標にしていた2017年よりも、早く合格できました。

通訳案内士に合格してから

通訳案内士試験に合格後、フリーランスで仕事をはじめるまで

通訳案内士試験に合格したものの、フリーランスは初めてでしたし、自信もありませんでした。

特に英語には、全然、自信が持てませんでした。

TOEICで850点を取る前は、スコア850は神のように見えていました。ところが、自分がTOEIC850を取ってみると、全然たいしたことないな、というのが分かってきました。

この状態で、通訳案内士なんて、やっていいのかな?と自信が持てませんでした。

2016年の2月に試験の合格発表があり、4月までは失業保険をもらえていました。

失業保険がきれて、そのままフリーになりましたが、何をすれば良いのか分からず、エージェントにも1社に登録しただけでした。

生活のために、飲食店でアルバイトをしました。アルバイトをしていると、ガイドの仕事もできず、中途半端でした。

5月に通訳案内士の新人研修に参加しました。同じ時期に合格した新人と一緒になり、色々と話をしました。彼女は、もうすでに何社も登録していて、活動を開始しており、刺激を受けました。

それからは自分も、何社ものエージェントに登録し、ご縁のあった仕事を受けるようにしました。

仕事の依頼の方法は、会社によって色々です。BCC で一斉に案内がくる所もあります。何度か仕事をするうちに、仕事が入ると直接、声をかけてくれるようになった所もあります。

スルーツアーのガイド

ツアーの全旅程を通してガイドを務めるスルーガイドは、通訳案内士の憧れでもあります。収入も、まぁまぁいいです。

新人の間はスルーガイドの仕事は、そう多くありませんが、ハイシーズンには、10日や2週間のロングツアーの仕事が回ってくることもあります。

行き先は色々です。2017年の桜のシーズンには、大阪、京都、奈良にも行きました。

同じ年の紅葉のシーズンには、東京、大阪、京都、広島まで行くツアーや、東京観光の後、北海道に行くツアーもありました。

珍しいところですと、ポルノグラフティのボーカルの方の出身地、因島にも行きました。

ツアーの下見と準備

基本的には、初めてガイドする行き先の場合は、下見に行きます。

予定が変わって、いきなり本番という時もありますが、自分が行ったことない所をガイドすることは、すごく勇気が要ります。

地方に行くお仕事は、下見に行くと結構お金がかかります。地方は交通費が高いですし、場合によってはタクシー移動になります。

毎回、ツアーの行き先が違う場合は、毎回下見に行きますから、大変です。

新人ガイドは、下見貧乏や、研修貧乏になる人が多い業界です。(笑)

下見では、どこに何があるかや、トイレや駐車場の場所などのチェックが重要です。

説明する内容は、日本語のガイドブックでざっと情報を収集しておき、現地では、英語と日本語のパンフレットをもらって、表現をチェックしたりします。

準備が100パーセント大丈夫な条件で、ツアーに臨めるわけでも、ありません。

特に、ガイドを始めて間もない頃は、スケジュールがいっぱいのツアーの場合、下見で、何がどこにあるか把握するだけで精一杯で、何を話すのかまでの準備まで手が回らず、ギリギリまで準備したり、大変でした。

準備はきりがありません。今も土壇場で、ギリギリまで準備しています。

まだ新人ですし、スルーガイドの仕事は、コンスタントに入るわけでは、ありません。

ロングのツアーが、毎月入ってくるのが、理想的ですが、シーズンオフと、オンの差が激しいです。

10年以上この仕事をしている人ですら、2月は、本当に仕事がないと言っています。その方は、もう割り切って、2月は遊んでいるようです。

他の月に仕事があると分かっていれば、仕事がないときに遊べるのですが、私の今の状態では、そこまで割り切れません。

色々な仕事を受けては下見して準備して、でも、次の仕事はいつ入るかわからない、といった地に足のつかない状態です。

定期観光バスガイドの仕事

通訳ガイドの仕事を始めたばかりの頃、アルバイトで、ピックアップの仕事をしていました。バスツアーに参加するお客様が泊まっているホテルに、お客様をピックアップしに行く仕事です。そのアルバイトは約1年ほどしていました。

そのご縁で、2017年の5月から、バスガイドの仕事も声をかけてもらえるようになりました。

初めは緊張しましたが、バスガイドの仕事も慣れてきました。

バスガイドをメインの仕事にすると、毎月コンスタントにある程度の日数はお仕事に入れるので、とにかく経験を積みたい私にはとてもありがたい話しです。

ただし、バスガイドをメインにすると、スルーガイドの仕事は入れなくなります。悩ましい所です。

新人通訳ガイドのお財布事情と今後の方針

通訳ガイドも2年目となりました。収入面で、丸1年の仕事を振り返って見てみると、1年目は色々なところに登録していて、仕事が安定していませんでした。

通訳ガイドになってから、実家を出て1人暮らしも始めました。1年目のペースで仕事をしていたら貯金が尽きるということも、分かってきました。

都内の定期観光のバス会社の仕事も増えてきましたし、慣れてきました。

丸一年を振り返って、自分の課題や今後の計画を実行するために、これから、しばらくは定期観光のバスガイドの仕事に集中しようと決めました。

まずは、経済的に安定した基盤を作ること、そして自分の納得いくレベルまで英語、ガイディングスキル、添乗スキルを磨き上げることが目的です。

ガイドの仕事で嬉しいこと

通訳ガイドをしていて、嬉しいこともたくさんあります。毎回、ありがとうと言ってもらえるだけでも、とても嬉しいです。

英語も上達してきたと思います。

都内の定期観光バスには、接待や、外国のお友達と一緒に、日本人のお客様が乗車されることも、あります。

英語はどこで勉強したのか聞かれて、基本的には日本なんですよと、言うと、「てっきり、留学されてきたのかと思っていた」などと、驚いて下さったりします。

最近、そのように褒められることが増えてきました。気づかないうちに、英語も上達しているのかな、と嬉しくなります。

ふだん海外に住んでいる日本の方に、そのような声をいただくと、本当に嬉しいです。

外国人のお客さまとは、フェイスブックで友達になったりして、再来日した際に、また会おうよと連絡をもらうことも、よくあります。

最近、初めてバスガイドしをた時のお客様とも、再会しました。

初めてのバスツアーでは、満員の44人のお客さまの前で、心臓が飛び出るくらい緊張していました。もう自分でも何と言っているか、分からないくらいでした。

その時、真ん前に座っていた若いハネムーンのお客さまが、盛り上げてくれました。その時の旦那さんの方が、今度は兄弟と再来日したのです。

再会した時に、「実は、あの日は初めてバスガイドをした日で、と~っても緊張していたんですよ。」と打ち明けたのですが、そうだったの?君は最高のガイドだよって、言ってくれました。とっても喜んでもらえたようで、すごく嬉しかったです。

外国の方は、本当にオーバーなほどに賞賛してくれます。

君は最高だよとか、これまで僕は世界を旅して色々なバスツアーに参加しているけれど、君が一番だよ、て言ってもらえたりすると、それだけで、もうすごいハッピーな気分になります。

すごくいい仕事だと思います。

自分の中では、英語もガイドも、全然まだまだだと思っています。自分が納得できるレベルのおもてなしをしたら、もっともっと喜んでくれる人いっぱいいるだろうなと思います。

もっと、英語力やガイドとしての知識を磨き上げて、レベルアップしていきたいです。

後輩へのアドバイス

通訳ガイドを目指す人へのアドバイス

これから、通訳ガイドをやりたいと思っている場合は、なぜ、この仕事をやろうとしているのか、しっかり自分に問いかけてみるといいと思います。

フリーランスで仕事をスタートする時は、強い思いがないと、途中で心が折れてしまうかもしれません。

私も、1年目は思うように仕事が入らず、貯金も減ってくる中で、生半可な気持ちだったら、もう諦めていたかもしれません。

やりたいことだから、なんとか続けていける道を探そうと模索して、もがきながら続けてきました。

仕事の予習も下見も大変です。英語ももちろん大変です。やりたいという気持ちが強いから、頑張ってこられたと思います。

英語の勉強をしている人へのアドバイス

英語の勉強を頑張っている人には、諦めちゃダメですよ、と言いたいです。

私は、20代なかばでTOEIC650点でした。なんとなく根拠のない自信があって、850なんてすぐと思っていました。ところが、なかなか850点を取れませんでした。

諦めないで頑張ってきて、1年4か月かかってTOEIC850点を取れました。

TOEICスコアの目標を達成して、もがきつつも、憧れていた職業で頑張っています。

ですから、今、自信がなくても、諦めないで頑張ってほしいなと思います。

2022年追記

インタビューから5年を経た2022年現在、藤木さんはなんとスペインにいらっしゃいます。どのような経緯でスペインに渡ったのでしょうか?

2016年2月に合格通知をもらい、2017年、2018年と2年半強フリーランス通訳案内士として活動させて頂きました。

お世話になっていた定期観光バスガイドではお客様アンケートで新人の中で一番多く高評価を受け、人とのご縁で関西の旅行会社とも繋がってスルーのツアーのお仕事をもらえたり、VIPのお客様のアテンドをさせてもらえたり様々な経験をさせて頂きました。

憧れだった仕事で評価されたことが、さらなる自信に繋がり非常に楽しい時期でした。

そんな中、憧れの仕事を手にして充実してはいたものの、何か心の中にずっとひっかかっていたことがありました。それは、年単位で海外に住んだことがないことです。

このまま通訳案内士の仕事を続けて色々な取引先ができるほど、海外に住むタイミングがなくなる気がしました。海外に住んだら必然的に語学のレベルがアップするはずなので、仮に海外に行って帰って来たとしても、通訳案内士としてキャリアを積むには、仕事をしないブランクがあったとしても、むしろプラスになるので思い切って海外に住んでみよう!とふと思い立ったのです。

それで、2018年のクリスマスから年末にかけての仕事を最後にして2019年の始め、スペインのバルセロナに飛び立ちました。

何故スペインかと言いますと、最初は「海外に年単位で住みたい。」とかなり漠然としていました。色々旅行で行った中でも「住みたい」と思ったのはヨーロッパ。そして、ヨーロッパの中でもどこ?と考えた時に、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアあたりが候補にあがり、特にバルセロナの活気が好きだったのとスペイン語ができるようになれば南米の人相手にも仕事ができて、仕事の幅が広がって楽しそうと思ったからです。

そして今、そんな軽いのりで1年のつもりで来たのに居心地のよさを気に入ってしまい、ビザを延長し続けスペイン生活も4年目になりました。

 .

藤木さん、どうもありがとうございます!

海外に住みたいと思って、本当に実行してしまうのは、すごいですよね。

これからの藤木さんのご活躍も楽しみです。

藤木さんのフェイスブックは、こちらです。

藤木さんのインスタグラムは、こちらです。

藤木さんのアメブロは、こちらです。

 なお、通訳案内士については法改正があり、2018年から名称が「全国通訳案内士」となりました。また、制度や試験が変わり、試験科目や免除条件もインタビュー記事中の記載と異なる点があります。

2018年以降の全国通訳案内士については、こちらの記事をご覧ください。

 

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